落武者狩り
1995年。オウム真理教による地下鉄サリン事件の恐怖が日本中を覆っていた。
しかし首都圏と地方、大都市と中小の都市の間には緊迫感にも温度差があった。
当時、福岡県の久留米市に住んでいた私にとっては少なくとも自分の身に直接関わってくることのようには思えなかった。
富士通
日本のパソコン市場で事実上のスタンダードとなっていたNECのPC98シリーズの牙城は、国内外の各メーカーの(いわゆる)DOS/Vパソコンで攻勢にさらされていた。
そんな中、富士通がDOS/VパソコンパソコンのFMV DeskPowerシリーズに一般ユーザ向け低価格、充実装備の戦略商品を発売した。
そのお買い得度に私はすっかり買う気になっていた。いや一旦は発注したのだ。
IBM
当時、福岡市の祇園町に大塚商会αランドの店舗があった。ときどき旧型機を超お買い得価格で販売する。新聞広告でIBMのパソコンPS/V 2405の格安品を見つけた。
IBMのPS/V 2405は世界中で販売されており多くのソフトウェア/ハードウェアがこの機種で動作確認を行っていた。いろんなハードやソフトを使ってみたいと思っている自分には都合の良い機種に思えたのだ。
それに何でもフル装備の一般消費者向けの富士通製品より、いかにも事務機器っぽく本体、キーボード、マウス以外は何も付いていない、サウンド機能も、CDドライブも付いていないPS/Vの方が何でも自分でやらなければならない分、勉強になるという考えもあった。
私はDeskPowerをキャンセルした。
富士通 FMV Deskpower→
↓IBM PS/V 2405
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オウム狩り
残念なことにIBMは数ヶ月で故障した。故障箇所は内蔵ハードディスク。保証期間内なので無料で交換修理してくれるが故障したHDDだけを持ってゆくというわけには行かず、購入した本体(キーボード/マウス)一式を元の箱に詰めて購入した大塚商会αランドに持ってゆくことになった。
箱は今の感覚でみれば明らかに大きすぎる。ジェミニの後席に1人半分を占有する幅。後方視界を辛うじて妨げない程度の高さ。シート間にきっちり収まり前後に揺れることのない奥行きがあった。
ぱっと見ただけで妙にデカイ箱を積んでいるとわかる。
当時の住居は久留米市内の九州縦貫道 久留米IC付近。店は福岡市なので九州縦貫道を通って店に向かった。
福岡ICで降りて一般道に合流するところは道幅も長さもたっぷりある。
そこに数台のパトカーと警官がいる。高速道路から一般道に降りてきたクルマを止めて調べているようだが、全ての車を…というわけではないようだ。
自分は大丈夫だろうと思っていたが止められた。
何でもオウム真理教が警戒の薄い地方都市でテロを行う可能性があり、その警戒だそうだ。
検問のターゲットは「関東方面ナンバー」で「若い男1人〜少人数」で「何やら大きな荷物を積んでいる」車だそうだ。私の車は「ビンゴ」なのだ。
横浜市から久留米市に引っ越していたのだが数年のうちに福岡市に引っ越す皮算用だった私は、どうせ最終的には「福岡」ナンバーにするのだからと、ナンバープレートを「久留米」に変更するのをサボッて「横浜」ナンバーのままだったのだ。
その車に若い男が一人、後席のIBMと書かれたデカイ箱がいかにも不自然だ。自分で言うのも何だがオウム狩りにかかっても仕方ない。
あの場所では高速道を降りてきた車が北(本州方向)からきたのか南(久留米/鹿児島方向)から来たのか分からない。横浜ナンバーだけで北から来たと判断したのだ。
住所変更済みの運転免許証を見せ、箱の中を見せ、事情を説明する。それに顔を見れば犯罪者でないことは一目瞭然だ。直ぐに無罪放免となった。
脱出
車を発進させようとしたとき、少し離れた前方にいた警官が私の方を指さし何か叫んでいる。顔は少し緊迫している?私を担当していた警官が私の発進を制止した。
「しまった、気づかれたか!」(何を?)
このような場合、急発進で制止を振り切り、その場を脱出するのがセオリーだ。
映画でもドラマでも登場人物は皆そうしている。
制止されて大人しく捕まるような登場人物は画面上には出てこない。
「振り切れ! それが正しい選択肢だ」頭の中の右足はアクセルを踏み込む。
現実の右手はイグニッションを切っていた。
私は映画の主人公ではない。ただの小市民だ。
警官に促され車を降りてフロントにまわると警官が指さした先に小さな蒸気漏れがあった。
あまりに小さすぎて背景が明るいと見えない。走行中は風圧でボンネットの中に吸い込まれているのだろうから見えない。
直接調べた警官は気づかなかったが、少し離れた前方から濃紺の車体、黒のグリルを背景にして見た警官だけが気づいたようだ。